~Shades of Stars~
第1話『a falling star』
声がする。 | |
少女A | 『めぐみちゃん、クラスでいちばんカワイイ!』 |
慈 | 『えへへ』 |
小学校低学年の少女はその言葉に、照れた笑みを返す。 | |
声がする。 | |
少女B | 『慈ちゃん、学校でいちばんかわいいよ!』 |
慈 | 『そぉかなぁ~?』 |
小学校高学年になった少女は、まんざらでもなさそうな笑みを返す。 | |
声がする。 | |
少女C | 『藤島さんって、この街でいちばんかわいいですよね!』 |
慈 | 『あはっ、やっぱりそう思う~?』 |
中学生の少女は友達に囲まれながら、当然とばかりに胸を張る。 | |
少女──藤島 慈がカワイイのは、当たり前だ。 | |
そうあろうと、常に走り続けてきたのだから。 | |
真っ白でふわふわした世界の中、どこからか甘いミルクのような声がする。 | |
瑠璃乃 | 『めぐちゃんかわいい。やっぱりめぐちゃんが、ルリにとっての、いちばんだよ』 |
慈は顎の下をくすぐられた猫のように目を細めて、気分よく微笑む。 | |
まったくもう、すぐほんとのこと言うんだから。 | |
るりちゃんってば──。 | |
そこで慈の意識は覚醒した。 | |
ピピピと鳴る不愉快な電子音によって起床した慈を待っていたのは、ただの現実。 | |
ひとりきりのワンルーム。まだ手も付けていないダンボールの山。そして、窓にハマった鉄格子。 | |
藤島 慈、15歳。少女はこの世の終わりのように、微塵もかわいげのない声で、うめいた。 | |
慈 | 「あーもう……最悪」 |
蓮ノ空女学院。 | |
県内でも有数の伝統をもち、芸術分野に秀でた全寮制の高校。 | |
北陸の中学に通う文化部系の生徒なら、誰もが一度は夢見る場所。憧れの【頂】{いただき}。 | |
なのだが……。 | |
慈 | (右を見てもお嬢様! 左を見てもお嬢様!) |
慈は内心で毒づく。 | |
本日は始業式。講堂に集められた生徒たちが皆、ケージに入れられた血統書付きのペットに見える。自分もその中のひとりになっているのかと思うと、ゾッとした。 | |
慈 | (なんだって、こんなことになったの……!) |
ぐぐぐと握る拳に力がこもる。 | |
慈 | (私は、あの『藤島 慈』だってのに……!) |
小学生でデビューし、以来、自他ともに認めるテレビの中の人気者。 | |
順調にキャリアを積み重ね、中学時にはレギュラー番組をも獲得。金沢のローカル番組だけではなく、全国にだって進出した。北は北海道から、南は沖縄まで。日本中が夢中になる、今が売り出し時の美少女タレント。それが、藤島 慈なのだ。 | |
それなのに。 | |
慈の知らない間に、母親は裏で手を回していた。 | |
すべては、慈にタレントとしての『スター性』がありすぎたことが問題だった。 | |
慈は間違いなく、売れるルートに入っていた。 | |
坂道を転がる岩がどこまでも加速していくように、努力が実を結び、さらに多くの人が自分を応援してくれる。その繰り返し。周りもみんな努力している。他の一切にかかずらっている暇など、なかった。 | |
ただそのせいで……ちょっと勉強をおろそかにしただけで。ちょっとテストで学年最下位になっただけで、鬼のように怒った母親との勉強の約束もちょっと平然と破っただけで。 | |
タレント活動は三年間休止させられ、外出にすら許可が必要な全寮制の高校に押し込まれることになった。 | |
こんなの、あんまりだ。 | |
このまま活動を続ければ、三年以内には世界征服だって叶えられたはずなのに。『将来のために常識を身につけなさい』という母親の横暴によって、その夢は閉ざされてしまった。 | |
いいじゃないか、いくらテストで0点を取っても、手に職をつけるために学校の勉強をするというのなら、自分はもう天職を手に入れたのだ。なんだったら別に、高校だって行く必要がないぐらいに稼いでたんだから! | |
慈 | (ああもう……。むかつく、むかつく……!) |
もちろん、上昇志向と闘争心の塊の慈が、ただで言うことを聞くはずがなかった。母親には徹底抗戦した。 | |
タレント業で培った人間力のすべてを使い、おだてて、ご機嫌を取り、説得し、降参し、情に訴え、涙を武器に戦い、それでも通用しなければブチキレて、家出し、事務所を味方につけようと懸命に工作した。 | |
そのすべてが失敗に終わった。一般会社員の母親は、人生経験において常に慈を上回った。 | |
そして、母親との戦いに負けた結果、慈はこの蓮ノ空女学院の生徒となった。 | |
身にまとう制服。赤茶色の生地、薄緑のスカーフは、慈の敗北の証だった。 | |
完璧に自立したプラチナのような才能も、光の届かない山奥では輝くすべをもたない。他の生徒と同じように、出席番号で管理される生活が始まるのだ。 | |
無念だ。あまりにも。 | |
やさぐれて見上げる先、檀上では新入生を代表した少女が、これからの新生活を祝したスピーチを行っている。 | |
梢 | 「春の息吹が感じられる今日、私たちは蓮ノ空女学院に入学いたします。本日は私たちのために、このような盛大な式を挙行していただき、誠にありがとうございます。新入生を代表してお礼申し上げます」 |
慈 | (勝手に代表するなっての) |
長く伸ばした髪を、そっけなく後ろでくくっただけの少女。だが、凛としたその立ち姿は、まさしく慈が心に描く『真面目で品行方正なお嬢様像』そのものであり、端的に言えばぜったいに友達になれなさそうなタイプであった。 | |
どうせ勉強もできるのだろう。家はたいそうなお金持ちで、グランドピアノとかがありそうだ。幼い頃から花よ蝶よと育てられ、クリスマスでは親戚一同でパーティーを開くのだ。 | |
梢 | 「以上をもちまして、新入生代表の挨拶とさせていただきます」 |
最後まで緊張の色を見せず、如才なくやり切った少女が頭を下げる。辺りからぱちぱちと拍手が響き渡る。 | |
一仕事終えた少女は振り返り、檀上から下りてくる。 | |
整った顔立ち。気品ある所作。澄ました表情は、この程度のことは昔から慣れ切っていると言わんばかり。涼やかな瞳が前を向いて。 | |
目が合った気がした。 | |
だが、それも一瞬のこと。すぐに少女は列の中に戻ってゆく。 | |
慈 | (……ああいう子が来るようなとこでしょ、蓮ノ空って) |
また退屈な挨拶が始まる。本当に、無駄な時間だ。 | |
慈は、心の中で盛大なため息をついた。 | |
慈 | (信じられない……。正気じゃないんだよ……。なんで入学式初日からもう授業があるわけ?) |
慈は恐れおののいた。あくまでも午前授業だけの一日だったが、授業は授業。これが全寮制高校、蓮ノ空女学院のやり方なのか。 | |
こうして、ありとあらゆる自由意志を根こそぎ奪い取り、勉強以外なにもできない純粋培養のお嬢様を作り上げるつもりなのだ。 | |
慈 | (こんなところに三年もいたら、頭がどうにかなっちゃうよ!) |
午後になって、一日のカリキュラムが終わり、慈は教室を飛び出した。 | |
クラスでは、さっそく仲良くなった女の子から『一緒に帰ろう』と誘われたが、慈は緩やかにお断りさせていただいた。ていうか一緒に帰るって寮に帰るだけでしょ!? | |
慈 | (せめて、この学校でなんか暇つぶしを見つけなきゃ、死んじゃう……!) |
下駄箱を出ると、学校敷地内のあちこちに、部活動勧誘の先輩たちがうろついているのが見えた。 | |
そういえば廊下にも、ずらっとポスターが貼り出されていたのを思い出す。 | |
美術部、合唱部、吹奏楽部、書道部……。さすが芸術に秀でた学校という触れ込みだけあって、文化系の部活動が活発なようだ。 | |
寮に向かう道の途中でも、慈は先輩方に何度か勧誘された。 | |
慈 | (まあ、私に声をかけてくるっていうのは、見る目があるけどさ) |
上から目線で生意気にそう思う。 | |
仕方ない。どこにいても人気者。場の視線を独り占めするほどのスター性が、自分にはあるのだから。 | |
同年代の平均よりも。少し高い身長。天使の羽のように広がった長い髪。誰もがハートを奪われる、母親譲りの愛らしい顔立ち。【日毎】{ひごと}に磨き上げられてゆく美貌。そのどれもが、自分を藤島慈たらしめる完璧なパーツだ。 | |
だからこそ、この才能が蓮ノ空に閉じ込められるのは、世界の損失である。 | |
慈 | (黙って学校辞めたら、今度こそママに勘当されるかな……。貯金を下ろして独り暮らしするにも、未成年が部屋を借りるの、大変そうだし……。いっそ私も、カリフォルニアに飛んじゃう?) |
内心で物騒な計画を立てている最中だった。 | |
綴理 | 「ごめんなさい。ボクは……」 |
揉め事の気配を感じて、慈は顔をあげる。 | |
見やると、新入生が先輩から強引な勧誘を受けているところだった。相手は、どうやら演劇部のようだ。 | |
考えるよりも先に、思わず声が出た。 | |
慈 | 「せんぱ~い。そういうの、北風と太陽ってやつですよ~?」 |
間に割って入る。昔から機転は利くほうだった。相手を刺激しないよういさめると、幸いにも、演劇部の先輩はすぐ正気に戻って、謝ってくれた。 | |
慈 | 「あんたも災難だったね──」 |
振り返る。 | |
綴理 | 「あ、うん……。どうも、ありがとう」 |
思わず──見惚れてしまった。 | |
顔やば。 | |
肩で髪を切り揃えた目の前の少女は、端的に言えば、ものすごく美形だった。 | |
高校一年生の平均身長を上回る自分より、さらに10センチは高いだろう。そのくせやたらと顔が小さい。触れれば壊れてしまうガラス細工の雰囲気をもちながら、スポットライトに照らされているかのような存在感を放っている。 | |
『同類』だと、反射的に慈は思った。 | |
自分と同じ、人目を惹きつける才能をもった人種。幼い頃からトクベツだともてはやされ、特定の分野で成功を約束された女の子。 | |
なんなら、美しさでは自分をも上回っているかもしれない。いや、それは言いすぎか……? きっと初見のインパクトにやられているだけだ。言いすぎということにしておこう。 | |
だが、この容姿で原宿の竹下通りを一往復すれば、二桁のスカウトに声を掛けられるのは間違いないだろう。なるほど、演劇部の先輩が我を忘れるのも、仕方ない話だ。 | |
なんで監獄みたいな学校に、こんな女の子がいるのか。 | |
慈が思わず美少女の顔面に気を取られていると。 | |
綴理 | 「ボクは、スクールアイドルになりたいんだ」 |
表情を動かさずに、彼女はそう言った。 | |
前置きがない唐突な宣言に、慈は一瞬、話しかけられていることに気づかなかった。リアクションを忘れて、少女の顔を見上げる。 | |
綴理 | 「ボクはスクールアイドルになるために、この学校に来たんだ」 |
少女は二回目を言った。今度はちゃんと反応できた。 | |
慈 | 「そうなんだ」 |
綴理 | 「うん。ボクがこの学校に来たのはね、スクールアイドルになるためなんだよ」 |
慈 | 「順番を変えただけ」 |
まるで情報が増えていない。ていうか……なに? それを私に言ってどうするわけ? | |
人並み外れた魔性じみたその美しさも合わせて、もしかしたら、かかわったらやばい類の女なのかもしれない。不思議ちゃんか? | |
慈は早々に撤退を決め込んだ。 | |
慈 | 「わかった。熱意は伝わったよ。それじゃ、がんばって」 |
それで立ち去ろうとしたのだが、少女はその場から動かなかった。なんだなんだ。 | |
ワンテンポ遅れて、口を開く。 | |
綴理 | 「がんばるって、どうすればいいのかな」 |
慈 | 「どういうこと?」 |
綴理 | 「あ、ううん」 |
彼女は無機質な人形のように、控えめに手を持ち上げる。 | |
綴理 | 「なんでもない。ありがとう」 |
慈 | 「ん……。」 |
なんだか煮え切らない会話だった。なんだったんだ、本当に。 | |
そのまま少女は、歩き去ってゆく。後ろ姿を眺めていると、また先輩の部活動勧誘に捕まっていた。生まれ持ったものとアンバランスに、いかにも気の弱そうな少女は、断るのにまた難儀しているみたいだった。 | |
大変そうだ。 | |
だけど……。 | |
慈 | (まあ、私には、関係ないっか) |
慈は、前を向いて歩き出す。別に、急いで寮に帰ったって、やることはないけど。 | |
ただひとつ。 | |
慈 | (……スクールアイドル、ねえ) |
その言葉が、頭のどこかに引っかかっていた。 | |
翌日の放課後。慈は腰に手を当てながら、廊下に貼られたポスターをなんとなく眺めていた。 | |
慈 | 「……スクールアイドルクラブ」 |
そういえばタレント時代、番組に出演したスクールアイドルたちに、インタビューしたことがあった。 | |
なんでも、高校生が部活動の一環で行うアイドル活動、だったか。自分で曲を作ったり、衣装を作ったり、ステージまで自作でがんばっているらしい。 | |
そのときは、『へー、すごいですねー☆』と形式通りのやり取りを済ませて、さっさと次のコーナーに流してしまった。常に最前線のプロでいることに誇りをもっている慈は、今も昔もアマチュアにあまり興味がないのだ。 | |
新入生勧誘のためか、廊下には選挙のようにたくさんのポスターが並んでいる。そのうちの一枚、スクールアイドルクラブ紹介のポスターの前に立っていた慈の首が、徐々に傾いていく。 | |
慈 | 「てか、なんか必死すぎ……?」 |
ポスターには『入部者募集!』『急募!』『優しく教えます』『最初は誰でも未経験!』『勇気を出して飛び込もう!』『これは新しい日々の始まりなんだ!』『デコボコの道だって大丈夫さ! 進もう!』などなど、スペースを埋め尽くすほどの誘い文句が描かれている。 | |
うーん、と腕を組む。熱意がありすぎて、これは逆効果ではないだろうか。せめてもう少し気楽に、見物しやすい雰囲気を出した方が……。 | |
慈 | (まあ、私には関係ないけど) |
周りからどう見えるのかを自然と考えてしまうのは、職業病のようなものだった。いや、『元』職業病か。いちいち訂正するのも忌々しい。 | |
そこでふと、幼馴染みの笑顔が思い浮かぶ。 | |
慈 | (……スクールアイドルって、なんかるりちゃん好きそう) |
テレビで見た歌やダンスを真似て、披露するたびに、『すごいすごい!』とはしゃいで喜んでくれた少女。 | |
あの子がいたから、慈は褒められる喜びを知り、結果的に紆余曲折あって、タレントを目指すことを決めたのだ。それは慈にとっての原体験だった。 | |
思い出と共に、わずかに感情の針が揺れて、慈はポスターに吊り下げられたチラシに手を伸ばす。どうせ暇つぶしなら、なんでもいいか……。 | |
だが。 | |
慈 | (いやいや……。でも、今さらスクールアイドルって、そんな) |
ぴたりと手が止まる。天秤の反対側に乗った『タレントとしてのプライド』は、すこぶる重かった。気の迷いを振り払うため、首をぶんぶんと横に振る。 | |
そのときだった。 | |
沙知 | 「! もしかしてきみ、スクールアイドルに興味があるのかぃ!?」 |
慈 | 「え?」 |
振り返る。いない。 | |
いやいた。 | |
視線を下げると、そこには二年生の証である黄色いスカーフをつけた小さな生徒上級生が、なにやら爛々と目を輝かせて、絶対に目の前の獲物を逃すしまいという殺気を放っていた。 | |
慈 | 「あ、いえ。」 |
まずい。直感する。ポスター描いたの絶対この先輩だ。 | |
慈はすぐに表情を取り繕って、万人向けの愛想笑いを浮かべた。 | |
慈 | 「私まだぜんぜん~、なにをするとか決めてなくて~。だからまた後で来ますね~」 |
やんわりとした口調で、しかししっかりと拒絶の意思を示す。美人に断られるのは、効くものだ。普通の相手なら、これで諦めてくれるはず……なのだが。 | |
目の前の先輩は、普通の相手ではなかったようだ。 | |
沙知 | 「いいよ、ぜんぜん! とりあえず部活動見学でも構わないから! さあ! 来ておくれ!」 |
慈 | 「ちょ、ちょっ!?」 |
ムリヤリに手を引かれる。ウソでしょ!? | |
慈 | 「先輩、強引すぎじゃないですか!?」 |
沙知 | 「大丈夫だよ! 後悔はさせないからねぃ! きっときみの三年間は、誰よりも輝くはずだから!」 |
慈 | 「ちょっと~~!?」 |
伝統ある蓮ノ空女学院の奥深く。古式ゆかしい部室棟に、その一室はあった。 | |
引っ張られることを諦めた慈は、大人しく先輩の後ろをついて歩く。まあ、話を聞くぐらいはいいだろう。どうせ寮に帰ったところで、スマホを見て時間を潰すしかないのだ。 | |
沙知 | 「さあ見えてきたぞ! あそこが、あたしたちの城! スクールアイドルクラブだ!」 |
慈 | 「はあ」 |
むやみやたらとテンションの高い先輩の向こうに、ふたりの少女が見えた。 | |
慈 | (……ん? あ、あの子) |
ひとりは、先日会ったスクールアイドル志望の、背の高い女の子だ。部室のドアを背に体育座りをしている。 | |
そしてもうひとり。 | |
慈 | (……げ) |
むすっとした顔で口元を引き締めている。壇上で挨拶をした例の『ユートーセー』が、腕組みをして仁王立ちしていた。近くで見ると、思ったより背が高い。スクールアイドル志望は、どいつもこいつもでかいやつばっかりか? | |
そしていかにもなお嬢様といった彼女は、こちらを見るなり、低い声を出す。 | |
梢 | 「先輩。鍵を持っているのはあなただけなんですから、最初に来てくれないと困ります」 |
沙知 | 「あーごめんごめん。ちょっと部活見学したいっていう子がいたからさ!」 |
事実とは異なるが、手を振りほどかなかったのも自分なので、それはまあいい。 | |
沙知 | 「いやあ、本当に嬉しいな……。あたしも、まさか部員が三人も入ってきてくれるなんて……」 |
じーんと感動に打ち震える先輩。ってことはこの優等生も、スクールアイドル志望なのか。意外だった。もっとちゃらちゃらした女の子がやるものだと思っていたから。 | |
慈は軽く手を挙げて、挨拶をした。 | |
慈 | 「どうも~。見学で~す」 |
梢 | 「……」 |
真正面から、思いっきり値踏みされるような目で見られた。まじか。 | |
梢 | 「……そうですか」 |
軽蔑の気配。小さくため息をつかれる。 | |
なんだこいつ……。この私を見下したのか? 今。 | |
笑みが引きつらないように気を付けながら、問う。 | |
慈 | 「どうかした~?」 |
梢 | 「いえ。なにも」 |
美術館で興味のない展示品を素通りするかのように、優等生が視線を外してくる。 | |
三アウト。カッチーン。今まで自分にそんな舐めた態度を取る人間はいなかった。こちとら蓮ノ空に来てからずっとむしゃくしゃしているのだ。こいつにはちょっと、言ってやらねばならない。 | |
慈 | 「なにもってことはないんじゃない~? なんか言いたそうな顔してるけど~?」 |
梢 | 「別にしてませんけれど。」 |
慈 | 「あっそ~? ていうか初対面の相手に、そういう態度やめたほうがいいよ? ふつーに感じ悪いからさ」 |
梢 | 「なっ……!?」 |
優等生は唖然としてこちらを見返してきた。見事なカウンターヒット。頭の後ろで手を組み、今度は慈が視線を宙に浮かべる。優等生が拳を握ったまま、ぷるぷると震える。 | |
梢 | 「……なんなんですか、あなた! 急に失礼なことを言ってきて!」 |
慈 | 「え? それってそっちが先じゃなかった~? ごめんごめん、ケンカ売られてるのかなって思っただけだから。誤解だったら謝るね☆」 |
梢 | 「先輩。この人もスクールアイドル志望なんですか」 |
睨まれた小さな先輩は、おおらかな笑顔を浮かべて親指を突き出す。 | |
沙知 | 「そうだよ!」 |
そうじゃないけど。見学だけども。 | |
梢 | 「へぇ……。そうですか」 |
慈 | 「今度はなに?」 |
梢 | 「別に。遊びのつもりなら帰ってほしいと思っただけです。スクールアイドルは半端な気持ちでやるようなものではありませんから」 |
慈 | 「は? なんであんたに言われなきゃなんないわけ~? 私は先輩に連れてこられたんだけど? あーなんか急にスクールアイドルクラブに入りたくなってきたなー☆」 |
梢 | 「なんなんですか!?」 |
言い争いを始めるふたりを前に、先輩が冷や汗をかきながら大きく首を傾げていた。 | |
沙知 | 「ん……んんん……!?」 |
体育座りしていた少女が、小さく鳴く。 | |
綴理 | 「……おなかへった」 |
沙知 | 「なるほど……なるほど?」 |
藤島 慈と、その両隣にふたりの少女。向かいの席に座った先輩は、なにやら考え込むように腕を組む。 | |
スクールアイドルクラブの部室内には、なんだかやたらと気まずい空気が漂っていた。 | |
その原因の一端はもちろん慈だが、先に仕掛けてきたのは向こうなので、自分からアクションを起こしてはやらない。完全にとばっちりを食らう先輩は、それはそうと、ひとまず話を進めることに決めたようだ。 | |
沙知 | 「えーっと、とりあえず自己紹介をしてもらおうかな。初めましてだしね」 |
そこで先輩はにっこりと笑顔を作った。快活で、人好きのするような笑みは、慈が出演してきたテレビ番組の共演者というより、どちらかというと裏方、スタッフ側の人に似た気さくな雰囲気を感じた。 | |
沙知 | 「じゃあ、まずはあたしから。蓮ノ空女学院二年生の大賀美 沙知だ。あたしが唯一の上級生だから、自動的に部長ってことになるね。気軽に沙知って呼んでくれ。よろしく!」 |
慈 | 「沙知せんぱーい」 |
慈が合いの手のように復唱する。うんうん、と沙知がうなずく。 | |
沙知 | 「順番にいこう。次は乙宗ちゃん。頼んだ」 |
乙宗と呼ばれた少女は、すっくと立ち上がった。 | |
背筋を伸ばし、胸に手を当てて、選手宣誓のように言い放つ。 | |
梢 | 「はじめまして。乙宗 梢と申します。目標は――ラブライブ!優勝です」 |
沙知 | 「おー」 |
と、沙知が手を叩いた。 | |
一方で、慈ともうひとりの少女が首を傾げる。 | |
慈 | 「ラブライブ?」 |
綴理 | 「ってなに?」 |
その途端だ。梢は大事なぬいぐるみを蹴飛ばされたかのように、目を吊り上げた。 | |
梢 | 「なんですって? あなたたち、そんなことも知らずこの名門に!」 |
慈 | 「いや、私は蓮ノ空に来たくて来たわけじゃないし」 |
梢 | 「来たくて来たわけじゃ、ない……!?」 |
慈が平然と述べると、どうやら怒りを衝撃が上回ったようだ。彼女──乙宗 梢は、しばらくわなわなと震え、お、第二ラウンド開幕か? と慈が身構える。 | |
だが、その言葉が梢の胸に落ちる前に、沙知が慌てて口を挟んできた。 | |
沙知 | 「わー、待った待った! はい、じゃあそんな夕霧ちゃんよろしく!」 |
自己紹介のバトンを受け取った少女は、こてんと首をひとつ傾げてから。 | |
綴理 | 「ボクは、きたくてきたよ」 |
梢 | 「え、ええ……そう、そうでしょうね」 |
その言葉でわずかに理性を回復させた梢が、こくこくとうなずく。 | |
綴理 | 「スクールアイドルになりたくて、来たんだ。どこでもよかったんだけど、入れる学校がもうここにしかないって言われて。きました」 |
梢 | 「どこでも……!?」 |
わずかに回復した理性は、即座に破壊されたようだ。難儀な女だ、と慈は思う。 | |
少女は『なにか間違えたのかな』と、怪訝そうに眉をひそめる。だがそれから、今が自己紹介の時間だと思い出したように、小さく手を振る。 | |
綴理 | 「あ、えっと。よろしく~」 |
以上。やり遂げたような顔の少女。 | |
慈 | 「いや名前は?」 |
思わず慈は口出してしまった。少女はまるでロボットのように答える。 | |
綴理 | 「つづり」 |
慈 | 「上は?」 |
少女は天井を見上げた。 | |
綴理 | 「壁」 |
間違いない。でもそういうことじゃない。 | |
慈 | 「苗字は?」 |
綴理 | 「ゆうぎり」 |
慈 | 「夕霧 綴理! OK?」 |
綴理 | 「? おーけー」 |
『そうだけど?』みたいな顔でうなずいてくる綴理。いやあんたがさっさと名前を言わないからでしょーが! 釈然としない。沙知も顔を覆っていた。 | |
梢は「夕霧綴理……」と小さく口にする。それはともかく、一仕事終えたような気になってしまった慈に、沙知が振ってくる。 | |
沙知 | 「……OK。じゃあ最後、よろしく」 |
慈 | 「はーい」 |
片手をあげて、気楽に返事する。 | |
慈 | 「藤島 慈ちゃんでーす。引っ張られてきましたー。スクールアイドルだっけ? まあ、体験入部だけど、やるなら私の『タレント☆』としてのネームバリューは使えると思うよ☆」 |
そう告げると、梢がいぶかしげに目を細めた。綴理も首を傾げる。 | |
梢 | 「タレント……?」 |
綴理 | 「すごいひと、ってこと?」 |
こいつらマジか。信じられない。今度は慈が衝撃を受ける番だった。 | |
思わずわめき散らしてやりそうになる寸前で、沙知が「おー!」と声をあげる。 | |
沙知 | 「あの、藤島 慈ちゃんか! 『五時だよ金沢!』はよく見てたよ! いやあ、雰囲気が違ったから、すぐにわからなかったねぃ」 |
ようやく話のわかる相手が見つかった。そうそう、それでいいのだ。 | |
慈は髪をふぁさぁと翻す。 | |
表情を作る。顔のすぐ横にピースサインを掲げて、いちばんかわいい角度に顔を傾け、ファンを殺すつもりで、とびっきりの笑顔を繰り出した。 | |
慈 | 「あはっ☆ 番組いつも見てくれて、ありがとね、せ・ん・ぱ・い☆」 |
それは、かなりの破壊力を発揮した。 | |
梢 | 「……!?」 |
綴理 | 「お~、かわいい~」 |
沙知 | 「本物の慈ちゃんだ……!」 |
梢が声を失い、綴理はぱちぱちと拍手し、沙知が感激する。 | |
こそこそと、梢が沙知に尋ねる。 | |
梢 | 「……ええと、有名な方なんですか?」 |
沙知 | 「全国の番組とかにも出てる、正真正銘、本物のタレントだねぃ」 |
梢 | 「はあ……」 |
戸惑う梢に、慈は勝ち誇った笑みを浮かべてやる。 | |
慈 | 「ま、だからね、わかるでしょ? 私がわざわざ学生の部活動なんかを本気でやるわけがない、って。おわかりになりましたぁ~? お嬢様☆」 |
梢は、静かに目を閉じた。 | |
梢 | 「……。そう、人様の職業に貴賤はないと思っていたのだけれど、無知蒙昧な方にも務まるほどに、簡単なお仕事なのね。タレントというのは」 |
慈 | 「むちも……!? ちょっと! よくわかんないけど、今、私のことばかにしたでしょ!?」 |
穏やかに微笑む梢。 | |
梢 | 「いいえ? ふふ。走馬看花な物言いは、一知半解で頑迷固陋であると申し上げただけなのだけれど? なにか?」 |
慈 | 「顔見ればわかるんだよ! ばかにしてるって!」 |
ぐぬぬと、顔と顔を突き合わせる梢と慈。 | |
梢 | 「ばかにしているのは、あなたも一緒でしょう? どうやらあなたにも、スクールアイドルのなんたるかというものを教えなければならないようね」 |
慈はへらへらと肩をすくめた。 | |
慈 | 「え、なに? 乙宗さんってそーゆー感じ? 沙知先輩、止めてあげてください☆」 |
綴理 | 「チョコのケーキ食べたい」 |
脈絡もなく綴理がつぶやいた。 | |
そんなカオスな状況を前に、沙知は頭を抱える。なんだろう。藤島 慈に出会えた奇跡に、神様に感謝しているのかもしれない。 | |
違うようだ。顔をあげた沙知は、開き直ったかのように叫んだ。 | |
沙知 | 「よぅしわかった! これが第102期蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブだ! ちくしょーやってやるー!」 |
まるで破れかぶれだ。この藤島 慈ちゃんがいるのに、なぜ……!? | |
というわけで、まったく噛み合わない自己紹介が終わり。 | |
沙知 | 「これから、みんなでがんばっていこう! えいえいおー! おー!」 |
ギスった雰囲気を吹き飛ばそうと、元気を振り絞った沙知の声が、部室に空しく響き渡る。 | |
頭ガチガチの優等生と、よくわからない不思議ちゃんという、ふたりの問題児に振り回される沙知が、さすがに哀れに見えてきた。 | |
慈は助け船のつもりで、尋ねる。 | |
慈 | 「それで、スクールアイドルって具体的にはどんな活動するんですか? 沙知先輩」 |
沙知 | 「よくぞ聞いてくれた!」 |
沙知は口角をあげ、じゃーんと片手を突き上げた。 | |
沙知 | 「スクールアイドルクラブは、蓮ノ空に代々続く、伝統の部活動だ。あたしたちはこれから、スクールアイドルとしてありとあらゆることにチャレンジしていくことになる。ライブや地域交流、ラブライブ!を目指すのも、その一環だ」 |
慈 | 「はあ。で、そのラブライブ!っていうのは、なんですか?」 |
梢 | 「ラブライブ!というのはね──」 |
早口で語り出そうとした梢を、手で制す。 | |
慈 | 「あ、私いま沙知先輩に聞いてるんで」 |
梢 | 「…………」 |
梢が無言で睨みつけてくる。いやだってあんた、長くなりそうだし。 | |
そんなふたりのやり取りに、ようやく沙知も慣れてきたかのように口を開く。 | |
沙知 | 「ラブライブ!というのはね、スクールアイドルの祭典であり、全国のスクールアイドルの頂点を決めるライブステージの大会なんだ。多くのスクールアイドルは、ラブライブ!優勝を目指して日夜努力しているんだよ」 |
なるほど。つまり甲子園やインターハイのようなものか、と慈は理解した。 | |
沙知 | 「蓮ノ空は、かつてラブライブ!で優勝したこともある学校なんだ。乙宗ちゃんが言ってた『名門』ってのは、そういうことさ」 |
慈 | 「ふーん」 |
梢 | 「………………」 |
淡白な慈のリアクションに、横から視線の圧を感じる。いや知らんて。そんなマイナーな部のマイナーな大会とか。 | |
沙知 | 「ま、習うより慣れろだ。実際にやってみるのが、手っ取り早い」 |
沙知は戸棚からファイルを取り出すと、あれでもないこれでもないとめくりながら、一枚の紙を取り出した。 | |
沙知 | 「いつか新入部員が入ってきたときのためにコツコツ作っていた、練習メニューがあるんだ。ふふふ……ようやくこれを披露できるときがやってくるとは……」 |
そもそもこの部活、本当に大丈夫だろうか。廃部寸前だったのでは? と思う慈。 | |
売り言葉に買い言葉で、ひとまず体験入部という形になってしまったが、正直ぜんぜん興味がない。ただ、ここで帰って優等生に嫌味を言われるのもシャクだ。きょう一日ぐらいは、付き合ってやるとしよう。 | |
大賀美沙知は、新入部員たちに見えるよう紙を突き付けてきた。にっこりと笑う。 | |
沙知 | 「早速ジャージに着替えて、レッスンルームに集まろうじゃないか。きょうがあたしたち102期スクールアイドルクラブの、第一歩さ!」 |
慈は、梢と、綴理と、顔を見合わせる。 | |
慈 | 「第一歩……」 |
梢 | 「このメンバーで……」 |
綴理 | 「あ、チョウチョ」 |
窓の外を眺めて、綴理は明るい声をあげる。 | |
沙知が、顔を手で覆った。 | |
沙知は顔を輝かせた。 | |
沙知 | 「すごい……すごいじゃないか!」 |
ぴたり、とフォームを止めて、ゆっくりと目を開いてゆくのは、夕霧綴理。 | |
ジャージに着替えた慈も梢も、呆気に取られていた。 | |
慈 | 「今のって……」 |
梢 | 「夕霧さん……?」 |
レッスンルームに移動し、真っ先に綴理が披露したダンスは、それはもう見事なものだった。水鳥が舞うような、アゲハ蝶が春の訪れを知らせるような、見るものの心を釘付けにする芸術品だ。 | |
梢がハッとする。 | |
梢 | 「夕霧さん……夕霧、綴理……。ひょっとして、あの……?」 |
慈 | 「有名人?」 |
慈が尋ねると、梢は静かにうなずいた。 | |
梢 | 「ええ、金沢でダンスを習っていれば、誰もが目にする名前だわ。小学生から始めたコンクールで、一度も優勝を逃したことがない。正真正銘の、天才よ」 |
踊り終えた綴理は汗ひとつもかかず、慈たちの元へやってくる。 | |
綴理 | 「ボクのこと、知ってるの?」 |
梢 | 「名前だけだけれど……。そう、あなたが部の仲間だなんて、とても心強いわ」 |
発言内容とは裏腹に、梢は難しい顔をしていた。 | |
綴理がぼんやりと口を開く。 | |
綴理 | 「そっか……うん。がんばろうね、これから。おとむねさん」 |
梢 | 「ええ。あなたに追いつけるように、精進するわ」 |
しかし、慈は肩をすくめてそのやり取りを、笑い飛ばす。 | |
慈 | 「なーんだ。有名人って言っても、金沢ローカルじゃん」 |
梢 | 「あなた……。今のダンスを見て、なにも感じなかったの?」 |
慈 | 「そりゃまあ、すごいとは思ったよ? 思ったけど、でも別に、ただのアマチュアの学生じゃん。私たちとそんなに変わらないって」 |
綴理 | 「……」 |
その言葉を聞いて、なぜか綴理が頬を緩めた。梢が半眼で見つめてくる。 | |
梢 | 「さすが、ラブライブ!を知らない人は、恐れも知らないのね」 |
慈 | 「乙宗ちゃんだって私のこと知らなかったじゃん」 |
しれっと言い返すと、図星を突かれたように動揺する梢。 | |
梢 | 「わ、私は……あんまりテレビとか、見ないから」 |
慈 | 「わたくしも~☆ あんまりスクールアイドルとか見ませんからして~☆」 |
梢 | 「その言い方はばかにしているわよね? ばかにしているわよねあなた」 |
低い声でうめく梢。火花が飛び散る間に、沙知が割って入ってくる。 | |
沙知 | 「まぁまぁ! それじゃ次は藤島ちゃんが踊ってみてくれるかぃ? できる範囲で構わないから、さ!」 |
慈 | 「いいですよ~? 私、できますから☆」 |
む……という顔で、梢が口を閉じる。 | |
慈はちゃちゃっと髪をくくり、前に進み出た。 | |
内心、綴理の後に踊るのはそれなりにプレッシャーもあったが、テレビで全国に放映されるわけじゃない。 | |
スマホで流したのは、前に番組でチャレンジした有名曲だ。 | |
片手をあげて、ステップを踏む。それこそ子どものときから、アイドルの真似事はやってきた。自分が生きてきたのは、プロたちの世界だ。 | |
久しぶりだというのに、体はよく動いた。緊張も抜けて、自然体で慈は振り付けをこなす。なにより、魅力的な笑顔には華があった。鏡の中の私は、きょうもとびきりかわいい☆ | |
一コーラスを踊りあげて、決めポーズ。 | |
そのまま、沙知先輩たちに振り返る。 | |
慈 | 「どうですか?」 |
賞賛をねだると、『おー……』と、沙知と綴理が拍手をした。 | |
沙知 | 「いいねぃ、いいねぃ」 |
綴理 | 「ふじしまさん、きれいでした」 |
慈の口角がにょきっとあがる。 | |
慈 | 「ふふ……ま・ね!」 |
どうだ、と梢を見やる。格の違いを思い知ったか! とばかりに。 | |
梢 | 「……」 |
梢はなにも言えず、押し黙ったまま。おやおや? | |
慈 | 「どうでしたかぁー☆」 |
ダメ押しのように下から顔を覗き込むと、梢はわずかに口を開いて。 | |
梢 | 「……まあ、踊れていたと、思うわ」 |
悔しそうに拳を握る梢。空気を読んだ沙知が、フォローのように口を挟んでくる。 | |
沙知 | 「ままま、乙宗ちゃん。別に、スクールアイドルだからって最初からみんなダンスができるわけじゃないから。一から覚えていけばいいだけだよ」 |
膨らんだ風船が弾けるように、梢が声を荒らげる。 | |
梢 | 「踊れないわけじゃありません!」 |
慈はきゅるんっと笑って、悪ノリした甘ったるい声を出す。 | |
慈 | 「そうですよ~、沙知先輩~。なんたってその子は、ラブライブ!優勝を目指してるんでしょ~? だったら、ダンスもめちゃくちゃ上手に決まってますよ~☆」 |
沙知 | 「こ、こら、藤島ちゃん──」 |
慈 | 「すみませ~ん☆ 言いすぎました~。乙宗ちゃん、ムリしないでいいからね☆」 |
梢 | 「…………!」 |
意地を張らず向こうが『私が悪かったです。タレントはさすがですね』と一言でも非を認めれば、すぐにでも許してやるつもりだったのに。どうやら梢に謝る気はないようだ。 | |
だったら、お手並み拝見といこうじゃないか。 | |
梢はなにも言わず、歩み出る。 | |
それからスマホを操作して、音楽をかける。 | |
……いや、かからない。スマホを操作して……操作して……。 | |
慈 | 「ん?」 |
曲を選んでいるわけではなさそうだ。妙な間が空く。 | |
沙知が「乙宗ちゃん?」と様子を窺うものの、梢は余裕のなさそうな顔でスマホを操作している。なんだなんだ? 手が震えるほどに緊張しているのかと思えば、それも違うようだ。 | |
しばらくして、ようやく曲がかかった。 | |
慈 | 「これって……」 |
どこかで聞いたことがあるようなクラシック……。いや、これは、バレエの曲だ。 | |
すぅと息を整える梢。彼女は指先をピンと伸ばして、両手を掲げる。トレーニングシューズで【つま先立ち】{ルルベ}をして、優美に踊り出した。 | |
慈 | 「……!」 |
滑らかな体重移動と、しなやかで力強いバレエダンス。それは紛れもなく経験者の動きだ。 | |
音楽に合わせて足先が床を離れるたびに、視線を奪われる。宙を舞う梢のダンスは、空を泳ぐ人魚のように美しく、ひとつの世界を確かに作り上げていた。 | |
綴理のダンスとはまた別の、思わず息を呑むような気迫を感じる。それは長い時間をかけた末の努力の息吹だ。 | |
心の奥底が揺さぶられたような気がして、慈は内心認めざるを得なかった。ラブライブ!優勝を掲げるだけあって、これまでたくさんの修練を積んできたことがわかる。 | |
どうやら、口先だけの女ではないようだ。 | |
音楽が終わり、梢はわずかな時間で息を切らしていた。手加減なく、全力でやり切ったのだろう。そのひたむきな姿に、手を抜いたわけではないけれど、授業の課題をこなすように踊った慈は、わずかな後ろめたさを感じてしまう。 | |
梢 | 「……はぁ、はぁ」 |
梢は、賞賛も賛美も求めてこなかった。『私の勝ちね』とも言わなかった。その姿は、むしろ、このぐらいはできて当然という高飛車な態度に見えて、嫌な気分だった。 | |
だから、口を尖らせてぽつりとつぶやく。 | |
慈 | 「完全にバレエじゃん。スクールアイドルって、そういうもんじゃなくない?」 |
梢 | 「うるさいわね、そこ……!」 |
顔を赤らめた梢が、鋭い声を飛ばしてきた。 | |
初日の練習が終わり、慈は一日の疲れを湯船で癒やしていた。 | |
慈 | 「ふぅ……」 |
思わず声が漏れる。蓮ノ空の環境はほぼサイアクだが、この大浴場だけは評価してやってもいい。足を伸ばして、肩を回す。 | |
視界の端で、こそこそと動く影があった。 | |
彼女は……乙宗 梢だ。 | |
梢 | 「……」 |
気まずそうに避けられるのも、なんだか腹が立つ。慈は自分から声をかけた。 | |
慈 | 「乙宗ちゃんー。こっちこっち」 |
影はぎくりとして、しばらくその場で立ちすくんだ後、諦めたようにやってくる。 | |
湯船に足を踏み入れ、隣に座ってきた彼女は、部活動の最中とは違い、妙によそよそしい顔をしていた。 | |
梢 | 「……どういう神経?」 |
慈 | 「なにが?」 |
梢 | 「……別に」 |
顔を背けられる。あまりにも会話が弾みそうにもない。 | |
これは失敗だったかな、と思ったのもつかの間。 | |
梢 | 「あなた、ダンスも踊れるのね」 |
意外にも、梢のほうから話題を振ってきた。 | |
慈 | 「ん、まあね。夕霧ちゃんとかあんたみたいに、専門で習ってたわけじゃないけど」 |
タレントの仕事は、多岐にわたる。番組の企画でダンスを踊ったときは、専門の先生に二週間、みっちりとトレーニングを受けた。そうして身についた芸事は、そうそう忘れないものだ。 | |
梢はなにか言いたそうな顔で、押し黙る。 | |
梢 | 「……」 |
慈 | 「……」 |
なんだなんだ。今度こそ私に勝利宣言を突き付けてくるつもりか? | |
慈が待っていると、梢は目をそらしたまま、まるで虚空に言葉を投げ捨てるように。 | |
梢 | 「……すごいと思ったわ。素直に」 |
ほう。 | |
ただその一言を絞り出しただけで、ものすごく恥ずかしそうにして、耳まで赤くなってゆく梢。……なにその顔。 | |
なんだかこっちまで妙に恥ずかしくなってくる。 | |
慈 | 「乙宗ちゃんこそ、クラスの子が言ってたけど、めちゃくちゃ楽器弾けるとか、すごいじゃん」 |
新入生代表の挨拶をした乙宗 梢は、蓮ノ空では初めから有名人だった。 | |
曰く『乙宗家は、金沢では有名な音楽一家』であり『乙宗 梢は幼い頃から何度も音楽コンクールに出場していた』らしい。下手したらこの学校では自分より名が売れていそうなのが、気に食わなかったが。 | |
しかし梢はそのことを少しも誇らず、居心地悪そうに湯面を見つめている。 | |
梢 | 「別に……ただ、習っていただけだから」 |
慈 | 「バレエだって、小さい頃からやってたんでしょ」 |
梢 | 「それも、別に……。夕霧さんみたいに才能があったわけでは、ないわ」 |
慈 | 「……」 |
なんだろう。胸がモヤモヤする。 | |
今まで聞いた情報を集めても、梢への印象は変わらなかった。 | |
すなわち、いいところのお嬢様で、努力家の優等生。世間慣れしておらず、おそらく友達も少ない。 | |
本当に自分とは、なにからなにまで正反対。ぜったいに仲良くなれる見込みもない。 | |
なのに。 | |
慈 | 「なんで、スクールアイドルなの?」 |
梢 | 「……え?」 |
意外そうに見返される。どうやら、外から見える自分のチグハグさ加減に、彼女はまったく無頓着なようだ。 | |
慈 | 「いやだって、ふつーに考えておかしいじゃん。今まで楽器やってましたー、バレエやってましたー、お勉強も得意ですー。なのにスクールアイドルって」 |
梢 | 「そんなことはないわ!」 |
慈 | 「わっ」 |
急に梢が立ち上がる。お湯が波打ち、慈の体がやや後ろに流される。 | |
梢 | 「スクールアイドルは……本当に、本当に素敵なの! 私が今までに積み上げてきたなにもかもを捨ててでも、目指したいと思えるほど、全世界の少女たちの憧れなのよ!」 |
安易に、なにかのスイッチに触れてしまったようだ。全力で主張し出す梢に、同意する声があがった。 | |
綴理 | 「ボクも、そう思う」 |
いつの間にか、もうひとりのスクールアイドル部員、夕霧綴理が隣にやってきていた。彼女は手を挙げる。 | |
綴理 | 「スクールアイドルは、すばらしい。ボクは、光を見たんだ」 |
ぜんぜんわからない。 | |
慈 | 「……はあ?」 |
綴理 | 「あ……」 |
慈が聞き返すと、なぜか急に綴理はショックを受けたかのような顔になって、うつむいた。 | |
綴理 | 「ごめん。なんでもない、です」 |
勝手に始まった会話が勝手に終わった。待て待て待て。 | |
慈 | 「いや、なにが!?」 |
綴理 | 「ボクは、なるべく……しゃべらないほうがいいから」 |
慈 | 「いや喋らないとなんにも伝わらないんだけど!?」 |
綴理 | 「……しゃべっても、いいの?」 |
慈 | 「いいというか、今は明らかにあんたが喋るターンでしょ!?」 |
綴理 | 「聞いてくれるの?」 |
慈 | 「早く言えよ!」 |
綴理の顔が、わずかに明るくなる。だが直後、今度は忙しい親に授業参観日のプリントを渡すように、おずおずと。 | |
綴理 | 「でも……やっぱり……」 |
慈 | 「言えよ!!」 |
噛み合わない。名前を聞き出したときと同じだ。この子とはこれからもずっとこうなのかもしれない。イライラしてきた。 | |
一連の会話を横で聞いていた梢は、頭痛をこらえるように頭を押さえて。 | |
梢 | 「でも、夕霧さん……。それほどスクールアイドルに憧れたあなたも、ラブライブ!のことはまったく知らないのよね……」 |
綴理は素直にうなずいた。 | |
綴理 | 「あ、うん。しりませんでした。お菓子だったらいいなっておもいます」 |
梢 | 「ぜんぜん違うわよ! あなたも部室で沙知先輩の説明を聞いていたでしょう!」 |
たぶん聞いてなかったと思う。怒鳴るやつがさらにひとり増えた。もうメチャクチャだ。 | |
まるで堪忍袋の緒がぶち切れたかのように、梢が綴理と慈を交互に指差してきた。 | |
梢 | 「わかったわ! あなたたち!」 |
言い放ってくる。 | |
梢 | 「お風呂をあがったら、私の部屋に来なさい! スクールアイドルとはなにかを! 教えてあげるから!」 |
乙宗 梢の部屋をノックすると、ドアが開く。梢は半眼でこちらを見やる。 | |
梢 | 「……ずいぶん遅かったじゃない」 |
どうやら時間を置いたことで、少しクールダウンしたようだ。 | |
慈 | 「こっちはこっちでいろいろあったんだよ……」 |
慈が疲れた声を出すと、梢が眉をひそめる。 | |
梢 | 「……なにが?」 |
慈 | 「夕霧ちゃん! ドライヤーの使い方もわかんないんだよ!?」 |
遅れたのはそのせいだった。慈が一から使い方を教え、さらに髪を乾かしてあげた。次から自分でやりなさいとは言ったものの、従うかは怪しい。 | |
梢 | 「えっ……?」 |
梢が口元に手を当てる。 | |
梢 | 「……もしかして、あなたも、苦手なの?」 |
綴理は表情を変えず、首を傾けた。 | |
綴理 | 「なにが?」 |
梢 | 「い、いえ……なんでもないわ」 |
綴理 | 「だって、濡れたものは、いつか乾くよ」 |
慈 | 「それじゃ髪が傷むんだってば!」 |
綴理 | 「痛む……? ボク、痛くないよ……?」 |
慈 | 「髪が泣いてるよ! せっかくあんた、こんな美少女に生まれておいて!」 |
綴理 | 「泣いてる……? きみ、泣いてるの?」 |
髪をつまんで心の底から不思議そうに尋ねる綴理。そのやり取りをやはり仏頂面で聞いていた梢は、ふたりを招き入れる。 | |
梢 | 「……とりあえず、入って。もう、準備はできているから」 |
足を踏み入れて、慈がうめく。 | |
慈 | 「うわ。もう荷ほどきぜんぶ終わってるし……」 |
梢 | 「? そんなの初日にやるでしょう」 |
慈 | 「こーれだから優等生はー」 |
梢 | 「なんなのよ……」 |
床に座る。綴理も慈の隣に座った。 | |
梢はすでにスマホを固定し、スクールアイドルの動画を再生する準備を済ませていたようだ。 | |
慈 | 「てか準備って、動画再生するだけじゃん……大げさな……」 |
梢 | 「……」 |
梢が押し黙る。その雰囲気から、慈は違和感に気づいた。 | |
慈 | 「ひょっとしてあんた、スマホの使い方、下手なの?」 |
梢 | 「言っている意味がまったくわからないわ」 |
慈 | 「いやだって、音楽流すときも、なんかもたもたしてたし」 |
その発言は完全にスルーされた。こいつら人と人とのコミュニケーションを放棄しすぎじゃないか? と思う。 | |
梢 | 「まずは、そうね。あなたたちが急に最高のスクールアイドルを見ても、そのすごさがわからないでしょうから。最近活動しているスクールアイドルの配信から、ひとつずつオススメを追ってもらいましょうか」 |
慈がブーイングをした。 | |
慈 | 「えー。長くなりそー」 |
有無を言わさず、梢が動画を再生させる。 | |
スクールアイドルの自己紹介が流れ始める。その後、彼女たちはチャンネルはそのままに練習風景を映していた。アカペラで歌いながら体を動かしている様子、だが。 | |
慈は率直な感想を述べた。 | |
慈 | 「あんまりうまくない」 |
梢 | 「音だけを聞いているから、そんなくだらない感想をもつのよ。彼女たちの情熱を感じなさい」 |
慈 | 「うざぁ……」 |
まるでガミガミ口うるさい家庭教師のようだ。早くも気持ちが萎えてきた。 | |
慈 | 「これじゃ夕霧ちゃんのほうが百倍ぜんぜんうまいじゃん。ね、夕霧ちゃんも、こんなの見ても退屈でしょ──」 |
話を振ろうと隣を見やる。しかし、慈の反応とは裏腹に。 | |
綴理 | 「…………」 |
夕霧綴理は、まるでテレビに食いつく幼児のように、夢中になってスマホを見つめていた。その瞳は、これまでになく輝いている。 | |
慈 | (……ああ、そっか。この子も、スクールアイドルに憧れてるんだっけ) |
こんなの、なにがいいんだか……と、思いつつも。 | |
口元に浮かんだ綴理の笑みが、慈の記憶を刺激する。 | |
慈 | (……あ) |
ふと、声が蘇る。 | |
慈にとって誰よりも大事な女の子の、笑い声。 | |
瑠璃乃 | 『──すごいよ! さっすが、めぐちゃん!』 |
慈は口をつぐんだ。 | |
改めて、スマホの中で練習する三人の女の子に、目を向ける。 | |
別に、ぜんぜんうまくない。スター性だってもってない。ただの素人の女の子が、歌って踊ってるだけ。それなのに梢も綴理も、恋い焦がれるようにその子たちに夢中になっている……。 | |
自分が踊っているときには、そんな顔してなかったくせに。 | |
私のほうがぜったいうまいのに。どうして。 | |
慈 | (……なんなの。ぜんぜんわかんない) |
わからない。わからないものは気に食わない。 | |
だから。 | |
慈 | 「乙宗ちゃん、次!」 |
梢 | 「え?」 |
慈 | 「次の動画! もっとまだまだあるんでしょ、見せたい動画!」 |
梢 | 「あるけれど……」 |
梢は嫌な感じの笑みを浮かべた。 | |
梢 | 「そう……。あなたも、ようやく少しずつ、わかってきたようね。それならいいわ。今夜は、とことん付き合ってもらうわよ」 |
その場にどっしりとあぐらをかいて、慈は腕組みをする。 | |
慈 | 「上等。ま、なにがいいんだか、さっぱりわかんないけどね!」 |
綴理 | 「すごいね、スクールアイドル」 |
綴理が感嘆の声を漏らすと、梢は目を細めて笑う。 | |
梢 | 「そう。あなたはさすがね、夕霧さん。仲良くなれそうだわ」 |
綴理 | 「そうだったら、うれしいな」 |
梢 | 「ええ、たくさん語り合いましょうね、スクールアイドルについて」 |
慈 | 「いいからはーやーくー。あ、そっかぁ☆ 乙宗ちゃんって機械音痴なんだっけ☆ 私が操作してあげよっか?」 |
梢 | 「いりません。そもそも私は機械が苦手なわけではなく、得意になっている最中ですから」 |
だからそれが苦手ってことでしょうが。 | |
よくわからない梢の言い訳に内心でツッコミを入れつつ、慈はスマホを睨みつける。 | |
スクールアイドル。 | |
人生でまったくかかわったことのない世界が、慈の前で少しずつ開けていっている。そんな気がした。 | |
そして──。 | |
沙知 | 「おおぅ……。これはいったい、どういうことなんだろうねぃ……」 |
大賀美沙知の前、三人の少女たちが正座をしていた。 | |
寮の廊下。綴理と慈はまるで反省していない顔で、梢だけがひとり、屈辱にまみれてぷるぷると震えている。 | |
慈 | 「えー? めぐちゃんわかんなーい☆」 |
綴理 | 「りょうぼさんに、おこられました」 |
沙知 | 「えーっと」 |
沙知が見やる。梢は押し黙って口を開こうとしない。 | |
結局、一晩中スクールアイドルの動画を見漁った三人は、朝日と共にそのまま力尽きるように目を閉じて……そして、揃って月に一度の朝礼を欠席した。 | |
いぶかしんだ寮母が起こしに来るまで、すっかり眠りこけていたのだった。 | |
梢 | 「この私が……。まさかこのふたりと一緒に……。こんな……!」 |
奥歯を噛み締めながら梢が呪詛のような声を漏らすと、慈が体をくねらせる。 | |
慈 | 「乙宗ちゃんにぃ~。『今夜は寝かせないんだからね♡』って~、言われちゃって~☆」 |
梢 | 「なにをばかなことを……! そもそも私は、さすがにもう寝ましょうかって言ったのに!」 |
綴理 | 「あ、トンボ」 |
窓の外を眺めた綴理が、明るい声をあげる。 | |
沙知はしばらく顔を覆っていて……。しかしそれから、弾かれたように、笑った。 | |
沙知 | 「なはははは!」 |
梢も綴理も慈も驚いて、沙知を見上げる。 | |
まさか、あまりのショックに頭のねじが外れてしまったのか、と思ったのもつかの間。 | |
沙知は涙が出るほど笑うと、目の端を指で拭って、朗らかに笑った。 | |
沙知 | 「まったく! 今年のスクールアイドルは、問題児ばっかりだねぃ!」 |
あまりにも嬉しそうな沙知の声に、梢は恥辱に顔をうつむかせ、綴理は首を傾げ、そして慈は、不満げに口を尖らせた。 | |
ユニゾン | 「「私をこのふたりと一緒にしないでほしいんですけど/ですけれど!」」 |
今はまだ、星の欠片たち。 | |
後に『蓮ノ大三角』と呼ばれることになる蓮ノ空女学院102期生、三人の輝ける軌跡は、ここから始まるのであった。 |