~Shades of Stars~
第4話『Reflection in the mirror』後編
藤島 慈には、二面性がある。
それはどちらかが偽で、どちらかが真ではなく、どちらも己自身。表裏一体、不可分の性根である。
愛嬌たっぷりのかわいらしい自分と、その内側に眠るマグマのような煮えたぎる感情。どちらかだけでは、藤島 慈にはならない。ふたつが無数の層となって、慈は形作られている。
ただ、人生経験を積むごとに、後者の感情を慈は巧妙に隠すことを覚えた。特にタレント業を始めてからは顕著だ。
慈はどんな自分のことも好きだったが、わざわざ敵を増やすことはない。好感度にダイレクトに影響する要素を、うまく使いこなせるようになった。
先日、乙宗 梢に完全な本性を見せてしまったことを、慈はほんの少しだけ、後悔している。
- 慈
『世界中を夢中に』
かつて幼馴染みと交わした約束を勝手に振りかざされ、思わず目の前が真っ赤になった。
おかげで、自分の人生設計にまた邪魔が入った。ただタレントとして復帰するだけなら、梢の介入などないほうがいいに決まっている。
おまけに、梢次第でスクールアイドルを続けるとまで、明言してしまって……。さすがにあれは、言いすぎた。考えといてやる、ぐらいにしておけばよかった……。
ただ、それでも。
もしスクールアイドルというものが、慈の未来を切り開くその光になるのだと、梢が心の底から信じているのだとすれば。
たった一度ぐらいなら、付き合ってやってもいいと、慈は思ったのだった。
ついに、ライブステージの日が、やってきた。
この日は、慈もちゃんとステージにあがるつもりだ。出場は、DOLLCHESTRA、スリーズブーケ、そしてみらくらぱーく!の順番。厳正なジャンケンによって、決定された。
ライブ前、部室に集められた102期生を前に、沙知が笑顔で告げてくる。
- 沙知
「いやー、みんな! この日のために、よく練習をがんばったね! 一足先にあたしからのプレゼントだ! あまりの感動に、泣くんじゃないぞ!?」
そう言って、じゃーんと沙知は大げさにロッカーを開いた。
そこにはなんと、4名分の衣装が入っていた。
- 沙知
「どうだ! きょうのステージのための、衣装さ!」
- 綴理
「おおー……」
拍手をしてくれたのは、約1名。きょうも素直で美しい夕霧綴理のみ。
慈は、白けた顔をしていた。
- 慈
「そもそも沙知先輩、私たちの採寸をしてくれてましたよね。被服部の人と話しているとこ、何度も目撃しましたし……」
- 沙知
「細かいことは気にしない!」
手のひらを突き出してくる沙知。それでも、いざ衣装を目の前に見せられると、さすがにテンションがあがった。
4人の衣装は、どれも同じく白を基調としたワンピース。スカートの先にいくほど桃色が濃くなってゆき、まるで桜の花びらのようだと思った。
- 梢
「『Dream Believers』……」
ん? と見やる。梢は衣装を前にして、固まっているようだった。
- 慈
「え、なに?」
- 梢
「……別に」
梢が目をそらす。その瞳が潤んでいた。リアクションを取れなかったのは、どうやら感極まっていただけらしい。
- 慈
「あ、ひょっとして感動してる? これで念願のスクールアイドルになれましたわ~、って」
- 梢
「うるさいわね……。だいたいあなたの物真似、似てないわよ」
腰に手を当てる沙知。
- 沙知
「そう、乙宗ちゃんの言った通りだ。これはね、かつて蓮ノ空女学院がラブライブ!で優勝した名曲、『Dream Believers』の衣装なんだ。蓮ノ空を象徴する衣装と言っても過言じゃないね」
- 慈
「へー」
そう言われると、なにやらご利益があるような気もしてくる。
衣装はそれぞれ、微妙にデザインが違っている。スカートの形だったり、首回り、ベルトの形だったり。きっとユニットごとに作られているのだろう。
- 沙知
「こっちが乙宗ちゃんで、こっちが藤島ちゃんのだ」
早速衣装を手に持って、鏡の前で合わせる。
- 慈
「ん、いいじゃん!」
たちまち気に入ってしまった。この衣装なら、自分の清楚可憐な魅力をじゅうぶんに引き立ててくれるだろう。
- 梢
「なんだか……恐れ多いですね」
一方、梢はこわごわと衣装に触れる。
- 梢
「まだなにも成し遂げていない私に、この衣装を着る資格があるのかどうか……」
- 沙知
「おいおい、なに言ってるんだ、乙宗ちゃん」
沙知が指を振る。
- 沙知
「きみは、スクールアイドルクラブに入ってくれたじゃないか。それが、まず最初にきみが成し遂げてくれたことだよ」
- 梢
「……そう、ですか」
ぜんぜん納得してなさそうに梢がうなずく。不本意にも、こないだ正面から意見をぶつけ合ったことで、またひとつ梢の理解度があがってしまった。めんどくせえ女だ、と慈は思う。
- 慈
「いいじゃん、衣装なんてかわいければ」
- 梢
「あなた……」
- 慈
「じゃあ乙宗ちゃん、制服で踊ったら~? 私は着るけど☆」
- 綴理
「ボクも、着たいな……」
- 梢
「っ……。わ、私も、着ます!」
ラブライブ!の名前も知らなかった女子ふたりが手を挙げると、梢も慌てて衣装を取った。やれやれである。
それともうひとつ。してやったりのドヤ顔を崩さない沙知にも、ちくりと言っておかなければならない。
- 慈
「まあ、衣装はかわいいんですけど、作るなら一言相談はしてほしかったですよね」
- 沙知
「先輩ってのは、サプライズをするものだからねぃ」
腕組みしてウンウンうなずく沙知。ちょっとは悪びれろと思わないでもない。
- 沙知
「あたしは衣装も作れなければ、曲も作れない!」
- 慈
「なにができるんですか」
- 沙知
「人の手を借りるのは、ちょっぴり得意なのさ!」
思いっきり胸を張る沙知に、堂々と言うことかなあ、と慈は首をひねる。
- 沙知
「あと、ステージを作るのも、まあそれなりさ。今回はその暇がなかったけど、次のライブには、ぞんぶんに腕を振るってあげようじゃないか」
- 慈
「まだデビューライブも終わってないのに、次の話ですか」
- 沙知
「それでモチベが高まる子も、いるみたいだからね」
沙知が親指で差すと、衣装を抱いた綴理が、「次のライブ……」と夢を見ているような顔でつぶやいた。
前回の近江町市場のライブを通して、なにかを受け取ったらしい綴理は、今はひとつでも多くライブをやりたがっていた。
しかも今回は、衣装を着て蓮ノ空の立派な音楽堂でのライブステージだ。さぞかし気分があがったことだろう。
普段、陰気で大人しいだけあって、心配も不安もなく朗らかな綴理を見ると、慈はなんだか得した気持ちになる。雨上がりに、虹を見つけたような。
まあ、その一点だけで、沙知が相談なく衣装を作ってきたことは、よしとしてやろう。
沙知は明るく笑う。
- 沙知
「さあ、102期スクールアイドルクラブの、お披露目だ。張り切って、元気いっぱいに、そして思う存分、楽しくやろうじゃないか!」
音楽堂には早くも、たくさんの生徒が詰めかけていた。
舞台袖から様子を窺っていた慈は、「おー……」と感嘆の声を漏らす。
- 慈
「大人気じゃん、スクールアイドルクラブ」
- 梢
「当たり前でしょう」
衣装に着替えた梢が、腕を組む。
- 梢
「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブと言えば、最近はあまり名前を聞かなかったけれど、名門中の名門。なんといっても、あのラブライブ!の優勝経験だってあるんだから」
- 慈
「最近はあまり名前を聞かなかった」
復唱すると、先輩に流れ弾が当たった。
- 沙知
「なはは……。あたしの代で復活できるように、がんばりたいねぃ……」
- 梢
「そ、そういう意味で言ったわけでは」
はめたわね、という顔で梢が睨んでくる。慈は目をそらした。
- 慈
「ていうか」
改めて梢の上から下まで見やる。すると、梢が頬を染めてスカートの裾を押さえた。
- 梢
「……な、なによ」
にっこり笑ってやる。
- 慈
「乙宗ちゃん、衣装すごい似合ってるじゃん☆ ちょーフリフリで、ワンポイントの帽子もいいね。めちゃくちゃスクールアイドルって感じ。雰囲気ぜんぜん変わるよ」
梢は身震いした。
- 梢
「……あ、ありがとう……。あなたに褒められると、なんだか寒気がするわね……」
- 慈
「授業もそれで受けたら? ちょっとは友達できるんじゃない?」
- 梢
「だから、いますから! 友達ぐらい!」
今度は慈がポーズを取る。
- 慈
「じゃあ、私はどう?」
フリルのちりばめられた伝統の衣装をまとった慈に、梢が口を尖らせる。
- 梢
「どうって、別に……」
- 慈
「あれあれー?」
慈は両手を口元に当てて、思いっきりかわい子ぶったまま首を傾げる。
- 慈
「乙宗ちゃんって、スクールアイドルにウソついちゃうのー? えー、不誠実ー☆ めぐちゃんかなしー☆」
うぐっと梢がのけぞった、衣装と同じぐらい頬を染めて、なんとかうめく。
- 梢
「っ…………わよ……!」
- 慈
「えー? なになにー?」
- 梢
「似合うと思う、わよ……!」
- 慈
「聞こえなーい☆」
- 梢
「今のは聞こえていたでしょう!?」
しょうがない。これぐらいで許してやろう。
お互いの衣装を褒める流れに、ここぞとばかりに沙知も参戦してきた。
- 沙知
「では、あたしもご相伴にあずかろうかねぃ」
- 梢
「似合っていますよ、沙知先輩」
- 沙知
「おお、嬉しいじゃないか」
梢が真っ先に褒める。なぜそこは照れずにいけるのか、慈としてはちょっと納得いかないが。
沙知はDOLLCHESTRAの衣装を着ていた。背丈の低い沙知だが、スカートから覗く白のロングブーツと、高い位置で結んだ太めのベルトは、彼女のスタイルもよく見せていた。
- 慈
「いいじゃないですか。ステージ映えしそうで」
- 沙知
「ふふふ、褒められるのはいくつになってもいいもんだねぃ」
- 慈
「まだ高校2年生でしょ、先輩……」
そこへ、着替え終わった綴理が合流してきた。
- 綴理
「お待たせ。どう、かな」
慈と梢が顔を向ける。直後、思わず絶句した。
- 綴理
「……ヘン……かな?」
不安げに瞳を揺らす綴理に、慈は隣で固まる梢の様子を窺う。梢もまた、似たような表情を浮かべている。
スクールアイドルクラブで活動して約1か月。今ふたりの心は、初めてひとつになった。
- 慈
「ヘン、っていうか……」
- 梢
「そ、そうよね……」
- 綴理
「?」
だめだ。認めるしかない。
- 慈
「いや、良すぎでしょ……」
- 梢
「夕霧さん、あなた……本当に、美人ね」
- 綴理
「……ほめてくれてる?」
- 慈
「正直、褒めるしかないっていうか」
- 梢
「沙知先輩とはぜんぜん違うわ……」
- 沙知
「おおーい!」
飛び上がって怒る沙知。慈は首を傾げながら屈み込んだ。
- 慈
「あらあらどうしたのお嬢ちゃん。ここは高校生しか入っちゃだめなんだぞ☆」
- 沙知
「覚えてろよ、藤島ちゃん……!」
悔しがる沙知には悪いが、さすがにレベチだ。『Dream Believers』のDOLLCHESTRA衣装は、まるで綴理専用にデザインされたかのように、彼女の長い手足を際立たせていた。
なにより腰の位置が沙知とは2メートルぐらい違う。チョーカーとベルトとブーツのラインは、まさしく黄金比。踊るまでもなく、世界中を夢中にできそうな芸術品だ。
- 慈
「来年度、後輩ちゃんが入ってきても、綴理ちゃんの隣に立つのは、そう簡単じゃないなあ……」
うなる慈。よっぽどの美人でもない限り、めちゃくちゃ気後れするだろう。沙知が未来に先延ばしした呪いを解くのは、かなり手ごわそうだ。
梢は今もまだ、ぽーっとした顔で綴理を見つめている。肘でつつく。
- 慈
「ちょっと、なに見惚れてるの」
- 梢
「べ、別に、そういうわけじゃ」
- 慈
「あんたひょっとして、面食い? いい趣味をしてますねえ、お嬢様☆」
- 梢
「やめてくれないかしら!?」
威嚇する梢に、慈が笑う。
そこで沙知がパンパンと手を打った。
- 沙知
「さ、それじゃあそろそろ、あたしたちの出番だ」
沙知の掛け声によって、蓮ノ空女学院102期スクールアイドルクラブは、4人で円陣を組んだ。
- 沙知
「きょうがあたしたちのデビューステージ。だけど、難しいことは考える必要ないよ。ここに来ているのは、学内の生徒がほとんどだ。気楽に、楽しんでいこう」
沙知は気負いもなく、笑顔でそう言った。ちょくちょく先輩としての余裕を見せてくるんだよな、このちびっこ……。
まあ、だからこそ、なんだかんだ乗せられてしまうのだが。
- 慈
「おっけ。沙知先輩も3曲連続、がんばって」
- 沙知
「そうだねぃ、大忙しだよ! よっしゃ、みんな手を出してくれ!」
慈は同級生の様子を眺めた。
綴理は、ひょいと手を前に出した。ステージ自体は誰よりも経験を積んでいる彼女だ。ただ、きょうはいつもよりワクワクしているような気がする。誰かが隣に立つステージが、よっぽど楽しみだったのかもしれない。
梢は、どこか思いつめたような顔をしていた。人生に一度のデビューライブだ。さまざまな想いはあれど、決して失敗するわけにはいかないと、自分を追い込んでいるのだろう。
慈は……息を吸い込んだ。
我ながら、思った以上に緊張しているようだ。だが、別に必要以上に意気込む必要はない。こんなの、人生の寄り道だ。どっちみち、梢が慈の期待を上回らなければ、自分のスクールアイドルはここでおしまい。それなら、精一杯やりきるだけだ。
- 沙知
「それじゃあ、蓮ノ空女学院、スクールアイドルクラブ! いくぞー!」
102期生が、一斉に声をあげる。
- ユニゾン
「おー」「はい!」「いえーい」
まるで合っていなかった。
沙知が「おいおい」と苦笑いし、そして、綴理を連れてステージへと向かった。
第一のステージ、DOLLCHESTRAの幕があがる。
披露されたのは、近江町市場近くのステージでも歌ったSparkly Spot。
曲が流れ、綴理と沙知がステップを踏む。切迫感と情熱のほとばしるままに任せた前回よりも、格段に安定度が増している。
練習を重ねて腕を上げたのは、綴理だけではなかった。沙知もしっかりと上達を見せている。身長差を逆手に取って、身振り手振りをダイナミックに使い、ステージでの存在感を発揮していた。
すごい……。袖から眺めていて、思わず息を呑む。
慈から見ても、さすがにこのレベルには、まだまだ届かない。なによりもパフォーマンスに対する向き合い方が、おそらくぜんぜん違うのだろう。追い付くためには、いったいどれだけ練習をしなければならないのか……。
ついそんなことを考えて、ハッとする。いやいや、届かないもなにも、自分のスクールアイドル活動はきょうまでなのだから、無用な心配だ。
だが……、もしかしたら梢なら、自分の予想を上回るステージを見せてくるのではないか。そんな、焦りにも似た感情が胸に渦巻く。
そのとき自分は、素直に負けを認めることに、なるのだろうか。
あくまでも己の感情に蓋をして、梢を認められず、スクールアイドルクラブを去るだけなのではないか。
- 慈
「……」
綴理のステージに目を奪われながら、慈は歯噛みする。
悔しかったのだ。自分がタレントを本気でやっていないと指摘されたとき、それは図星だと思ってしまった。
当時はもちろん、無我夢中だった。ひとりでも自分を応援してくれる人を増やすため、目の前の一事に、全力投球してきた。
だが、徐々に余裕ができてきて、初期の衝動を忘れていった。大抵のことはうまくこなせたから、ほどほどに手を抜くことが愛されるための秘訣だと思い、ごまかし方だけがうまくなっていった。
梢が部屋まで押しかけてきたあの日、誰よりもまっすぐな目に射抜かれて、慈は自分の侮りを暴かれることが怖くなった。
必死に挑んでその夢が叶わなかったら、傷つくのは、自分だ。
それでも、きっと。
- 梢
『目指して努力を続ければ、いつかきっと、自分に誇れる私には、なれると思うから』
乙宗 梢は、どんなに傷ついたとしても、夢見ることをやめられないのだろう。
なんて不器用な女だ。同情する。これからもずっと彼女は、苦しみ続けるに違いない。そしてそれ以上に、慈は梢が羨ましかった。己の決めた夢に殉ずることができる彼女が。
きっと一握りの願いをつかみ取るのは、こういうやつだ。
熱に当てられたのだ。だから、もしかしたらと、思わされてしまった。
出番が近づいてきた。慈は袖でスタンバイしている梢を見やる。
悔しいから、なにも言ってやらないつもりだったのに。
梢の顔色は、真っ青だった。
- 慈
「あんた……どうしたの」
- 梢
「……いえ」
様子がおかしいのは、自分でもわかっているのだろう。胸を押さえながら、梢が小さく首を振る。
- 梢
「私は、大丈夫。きっと、うまくやるわ」
- 慈
「ちょっと」
肩を掴む。振りほどかれる。
- 梢
「デビューライブだもの。この衣装を着て、みんなにも、あなたにも、無様な姿は見せられないわ」
やがて綴理の出番が終わり、DOLLCHESTRAのふたりが舞台袖に戻ってくる。息を切らせた沙知が、燃料を蓄えるように給水する。
- 沙知
「よっしゃ、それじゃ次はスリーズブーケだね。乙宗ちゃん、準備はできている?」
- 梢
「はい」
- 慈
「ちょ、ちょっと!」
まだ言いたいことは足りなかったが、梢は慈の声を振り切ってゆく。
戻ってきた綴理が、どうしたのかと、わずかに眉を寄せる。
慈は、嫌な予感を覚えていた。
どうして自分が梢のパフォーマンスを心配しているのかも、わからなかった。
インターバルを経て、再び音楽が流れ出す。
客席からの歓声。そして、梢がマイクに歌を乗せる。
Reflection in the mirror。
梢のパフォーマンスは、精彩を欠いていた。
ただ練習の成果を発揮することだけに必死で、見ていて胸がかき乱されるようだった。
放課後、梢の練習に付き合って付き添ってやったとき、彼女が語っていた言葉を思い出す。
- 梢
『この曲は、私が初めて蓮ノ空のスクールアイドルを見たときに、歌っていた曲なの』
あの梢が、安らいだ微笑を浮かべながら。
- 梢
『蓮ノ空を選んだのは、近隣のスクールアイドル部の中で、いちばんの実績があったから。でも、それだけじゃないわ。私は初めて聞いた曲に感動して……だから、ぜったいにスリーズブーケで活動をしたいと、思ったの』
その瞬間だけは、ただひとりの少女のように、梢は微笑んでいた。
- 梢
『デビューライブは、私の夢への第一歩。でも、ただそのためだけに挑むなんて、もったいないわ。ようやくスクールアイドルになれた喜びを、みんなにも知ってもらいたいから』
夜通し動画を見せられたときも、ずっと、梢は意志を示し続けてきた。
自分はスクールアイドルが好きだ。大好きだ、と。
そんな乙宗 梢は今、ステージの上、一心不乱にもがいていた。
まるで波にさらわれ、思うように泳げない魚のように。曲に振り回され、こわばった顔で喉を振り絞っていた。
おいおい、と胸の内から声が漏れ出す。
ずっとずっと練習してきたくせに、その何分の一だって表現しきれていない。
憧れていたスクールアイドルのデビューライブ。蓮ノ空の伝統の衣装。そして、慈との勝負。たくさんの想いを背負いすぎたせいだ。
こんなことなら──あんな賭け、するんじゃなかった。
慈の夢なんて余計なものまで背負い込んで、プレッシャーに負けて自分の夢を壊すなんて、本末転倒すぎる。
Aメロが終わり、慈は間奏の間、思わず声を荒らげた。
- 慈
「なにやってんのよ!」
舞台袖から、ステージに声は届かない。
それでも、叫ばずにはいられなかった。
- 慈
「こんなのが、あんたのデビューステージなの!? あんたは、憧れのスクールアイドルになれたんでしょ!」
あれだけ大口を叩いたくせに。BGMにかき消されながら、慈は怒鳴る。
- 慈
「そんなんで、誇れる自分に、なれるの!? 乙宗 梢!」
目が合った、気がした。
ゆっくりとした時間の流れの中、梢が慈を見て、目を見開く。まるで聞こえていたかのように、彼女は口を引き締め、そして、正面に向き直る。
それが本当に起こった出来事なのかどうかは、わからない。
だが。
梢は壁を突き破った。
- 梢
『──』
声量が一段階、増す。
まるで燐光をまとうように、梢の手足が輝き始める。
会場の熱気を、飲み込んでゆく。
その場にいた者たちの五感を、奪い去る。
慈も、また。
焦りも怒りも不安もなにもかもが、ただひとつの純粋な夢への指向、衝動に塗り潰される。
綴理のステージを見たときと同じように。いや、それ以上に。
思い知らされる。
これが、スクールアイドル。
スクールアイドル乙宗 梢が、そこに誕生する。
迷いを振り切った彼女が歌うのは、夢への始まりの歌。
懸命な笑顔を浮かべながら、応援してくれる人のために。そしてなによりも自分のために、彼女は憧れの曲を、最後まで歌いあげる。
音楽堂に響く拍手は、しばらく、鳴り止むことはなかった。
あっという間の出来事だった。
デビュー曲を歌い終えた梢が、息を切らしながら、戻ってくる。
- 沙知
「いやあ、いいステージだった! よしよし! 最後は、みらくらぱーく!だね!」
慌ててスタンバイを始める沙知。慈の隣には目を輝かせた綴理がいて、梢を出迎えた。
- 綴理
「すごかった、おとむねさん」
- 梢
「……ええ、ありがとう」
まるで夢を見ているような顔をする梢に、綴理が目を細める。
- 綴理
「おとむねさん。きみはやっぱり、スクールアイドルだ」
- 梢
「……?」
心地よい疲労感の中、首を傾げる梢。
彼女はきっと無我夢中で、自分がなにを成し遂げたのか、わかっていないのだ。
- 慈
「ごめん沙知先輩、ちょっと待っててもらっていい?」
- 沙知
「ん? もちろん、いいとも」
慈は沙知にそう言ってから、梢の元へとやってきた。
すると、タオルで汗を拭きながら、梢はなぜか不機嫌そうな顔をした。
- 梢
「……それで?」
梢が慈に問いただしてくる。
- 梢
「なにを言うつもり? ……私も、わかっているわよ。正直、最高のパフォーマンスだったとは、言えない。出だしは緊張しすぎて、ろくに声も出ていなかったし……。100点中、30点以下の、ステージだったわ」
デビューライブを終えたばかりだというのに、少しも浮き足立たず、自分に辛口の点数をつける梢という女に、慈は気が抜けたように肩をすくめた。
- 慈
「わかってんじゃん」
- 梢
「……ええ。もっともっと、精進しなければならないわ。それで?」
- 慈
「約束のこと」
- 梢
「約束……?」
梢はほんの一瞬眉をひそめて、それから、ああ、と思い当たった。
- 梢
「そういえば……そうだったわね」
- 慈
「呆れた。忘れてたの?」
バツが悪そうに目をそらす梢。
- 梢
「途中までは覚えていたはずだけど……でも、夢中だったから」
- 慈
「ひとりで楽しんでたってこと?」
うっ、と梢は言葉を詰まらせる。
- 梢
「……そうよ。だから、30点だって言ったでしょ……!」
まったく。本当に、この女は。
悔しそうに歯噛みする梢の肩に、手を置いた。
熱い。そこから伝わってくるものが、確かにある。
- 慈
「じゃあ、今度は私のこと、見ててよ」
笑いかける。
- 慈
「スクールアイドル藤島 慈のデビューライブ」
怪訝そうに、問い返された。
- 梢
「……それって、あなた」
声には出さず、告げる。
あんたが自分自身をどう思うかは知らないけど、私にとっては100点のライブだったよ。
なんたって。
この藤島 慈を、夢中にしてみせたんだから。
- 慈
「いこ、沙知先輩」
息を整えた沙知が、慈の隣で大きくうなずく。
- 沙知
「よし! それじゃあ、大成功できょうのライブを締めくくろうじゃないか!」
- 慈
「あったりまえ」
慈は笑って、スポットライトの下に歩み出てゆく。
背を伸ばし、正面を見据え、迷いを振り切った顔で、堂々と。
- 慈
「世界中を夢中に、してやろうよ。沙知先輩」
みらくらぱーく!の伝統の曲。『アイデンティティ』。慈の歌声が、音楽堂に──。
この世界に、高らかに響き渡った。
ライブの後、部室に戻って軽い打ち上げが開かれた。
- 沙知
「かんぱーい!」
ソーダ水が並々入った紙コップを持ち上げ、沙知が笑う。
- 沙知
「いやー、いいライブだったねぃ! 102期の始まりとして、申し分なかったよ! 夕霧ちゃんも、乙宗ちゃんも、藤島ちゃんも、よくがんばった! ……って、きみたち紙コップはどうしたんだ!?」
3人の前に置かれているのは、それぞれ水のペットボトル。
- 梢
「すみません、私はまだ、飲みかけなので、炭酸があまり好きではないので」
- 綴理
「ボクも」
- 慈
「私は、ちょっと今は気分じゃないなー」
- 沙知
「そ、そうかぃ……。まあいいじゃないか、きょうはおめでたい日だ! ウン!」
まるで自分に言い聞かせるようにうなずく沙知。ほんの少しだけ、哀れに感じてしまう。
梢は少し考えた後、おずおずと口を開く。
- 梢
「……あの、もしよかったら、部室にティーポットを置いてもいいですか? 私の、趣味なので」
- 沙知
「おお? 構わないよ。きみたちの部室だからね、好きに使ってくれ!」
- 綴理
「あ、じゃあお菓子置いててもいい?」
- 沙知
「いいとも!」
- 慈
「えー、じゃあ私、寝袋置いとこうかな。眠くなったときのために」
- 沙知
「そこまで好きに使われても困るねぃ!?」
悲鳴をあげる沙知に、慈が笑う。
梢も慈も、どちらも言い出さなかった。今回の勝負の結果がどうであったか、と。
ただその代わり、慈が高らかに水のペットボトルを掲げる。
- 慈
「そんじゃ、ま、3年間、このメンバーでがんばっていこー!」
- 沙知
「おー!」
紙コップを掲げたのは、またも沙知ひとり。
- 沙知
「きみたち! こういうときはカンパイするものだよ!」
- 綴理
「このお菓子、おいしいね」
- 梢
「そうね」
沙知の持ってきた、まねっこドーブツをつまむ綴理と梢。まるで先輩の話を聞いていないその態度に、沙知が笑いながら怒筋を浮かべる。
- 沙知
「この、問題児どもー!」
その夜、慈の元に一本の電話がかかってきた。
それは遠い空の下、今もひたむきにがんばる幼馴染みからの電話だった。
近況報告を交わした後、慈は思い出したように告げる。
- 慈
「そうそう。私ね、新しいことを始めたんだ」
目を細め、まるで野良猫のように笑う少女は、とびきり嬉しそうに告げた。
- 慈
「るりちゃん、『スクールアイドル』って、知ってる?」