第5話『桂城 泉』
ABYSS
泉 | 惨めで、つまらない話をしよう。 |
泉 | 小学五年生の夏。当時の私。桂城 泉は、特別でもなんでもない。どこにでもいるような、ただの子どもだった。 |
泉 | 過去をもたず、まだ未来も知らず。今だけを見て、与えられた生を謳歌していた。 |
泉 | この先に待つ運命を、知る由もなく……。 |
泉 | 女優だった母親の縁で、私はとある劇団に所属することになる。 |
泉 | そこで、ひとりの少女と出会った。 |
泉 | 少女と言っても、彼女は当時中学二年生。私の、三つ上の先輩だ。劇団の中心人物だった彼女は、誰にでも人当たりが良く、私ともすぐに、仲良くなった。 |
泉 | 私にはどうやら、演劇の才能があったらしい。すぐに先輩に、気に入られてしまった。 |
先輩 | 「キミと一緒なら天下を取れるよ! わたしは! 一緒に天下を目指そうじゃないか!」 |
泉 | 「ははは、なんだよそれ。」 |
泉 | あれよあれよという間に、私は演劇の世界に引きずり込まれていった。 |
泉 | 楽しかったんだ。 |
先輩 | 「泉ちゃん! きょうも遅くまで残ってくれて、ありがとうね!」 |
泉 | 「初舞台が、もう来週だからさ。それに……。」 |
泉 | 「……遅くまで練習しているのは、あなたも一緒に残っているからだよ。」 |
先輩 | 「なんてかわいい後輩……!いや! わたしのベストパートナー!」 |
泉 | 「よくそんな台詞を、臆面なく言えるね、あなたは!」 |
泉 | 「あはははは。」 |
泉 | 稽古を重ねて、そして。 |
先輩 | 「初めての舞台は、大成功! さっすが、わたしのベストパートナー! よっし、目指すは──!」 |
泉 | 「目指すは?」 |
泉 | そこで聞いたのは、演劇をしていれば誰もが憧れる賞。どうやら彼女は、本気のようだ。 |
泉 | 彼女は何度も繰り返し、『自分たちなら掴める』と言っていた。 |
泉 | 「うん……うん、わかった! それが『私たち』の……新しい夢だね!」 |
泉 | いつの間にか私たちは、同じ夢を見るようになった。 |
泉 | 夢中になって、夢を追いかけた。 |
泉 | 一年が経ち、二年が経ち、そして──。 |
先輩 | 「やったよ、泉ちゃん!わたしたち……やったんだ!」 |
先輩 | 「夢が──叶ったんだよ!!」 |
泉 | 「ああ……。私たちで掴んだ、夢だ!」 |
泉 | 私と先輩は、頂点に、たどり着いた。 |
泉 | 本当に……楽しかった。 |
泉 | 演劇は私のすべてで、私は生涯を捧げるに足る生きがいを見つけたのだと、思えた! |
泉 | こんなにも楽しい日々が、ずっと続くのだと……。 |
泉 | そう、思っていたのに。 |
泉 | それは……大きな誤りだった。 |
泉 | 「──!? 先輩!?」 |
泉 | ある日、稽古の最中、私の目の前で、先輩が倒れた。 |
泉 | 先輩は寝不足だと言い張っていた。だが、私はずっと気づいていながら、見ないフリを続けていたんだ。 |
泉 | 稽古の時間、先輩が不自然にその場を離れていったことも。昼食後、面倒だと笑いながらも、明らかに多い量の薬を飲み続けていたことも。 |
泉 | 気づいていたのに……この“今”が、楽しかったから……。 |
泉 | 運命はただ無情に、私たちに刃を突きつけた。 |
泉 | 先輩は、病に侵されていた。しっかりと入院をすれば良くなるはずの病気を、先輩は先延ばしにし続けていたのだ。 |
泉 | 私が共に……いたからだ。 |
先輩 | 「わたしね、思うんだ。この広い宇宙の中で、泉ちゃんと巡り会えたのって、奇跡なんじゃないか、って。」 |
先輩 | 「泉ちゃんとふたりなら、どこまでもいける気がするの。一緒に、夢を掴もうね。」 |
先輩 | 「ぜったいに負けないからね! ベストパートナー!」 |
泉 | 先輩は語った。『次の公演に、命を懸けているから』と。 |
泉 | ……私にはそれが、到底冗談のようには聞こえなかった。 |
泉 | 命の最後の炎を燃やし尽くすように、先輩の芝居は苛烈を極め続けた。 |
泉 | 毎秒ごとに猛り、盛る滅びの炎を。看過など、できなかった。 |
泉 | 私は何度も先輩と話し合った。 |
泉 | 話し合いなどという言葉では、生ぬるい。それは、互いの主張を折る戦いだった。 |
泉 | 「病気を治して、また帰ってくればいい!」 |
先輩 | 「何年かかるかわかんないんだよ! わたしは、夢を諦めたくない!」 |
先輩 | 「泉ちゃん、お願い。」 |
先輩 | 「わたしと一緒と行こう。夢の先へ──!」 |
泉 | 「っ!」 |
泉 | それでも彼女は、止まらなかった。誰にも彼女を止めることなど、できなかった。私以外の、誰にも。 |
泉 | だから私は決断したんだ。 |
泉 | 命よりも価値のあるものなどないと──そう信じて。 |
先輩 | 「泉ちゃん、どうして……。」 |
泉 | 「私はもう、あなたと共には、歩めない。」 |
泉 | 「さようなら。」 |
泉 | 別れ際、涙が頬を叩いた。私にはそんな資格なんて、ないのに……! |
泉 | そして私は、演劇を辞めた。 |
泉 | 私と共に在る限り、彼女は永遠に無茶をする。私たちはきっと、相性が良すぎたから。 |
泉 | それしか方法は、なかったんだ! |
泉 | ……ずっと、一緒にいられたら、どんなに良かったことだろう。 |
泉 | 地獄の炎に焼かれながら、ふたり手を繋ぎ、この身が灰になるまで離れないと誓い合えば……! あるいは、幸せな終わりを迎えられたのだとしても……。 |
泉 | それでも私は、彼女に、生きていてほしかったんだ。 |
泉 | そして私たちは、半身を失った。 |
泉 | それから……。私の願い通り、彼女は治療に専念したと聞いた。 |
泉 | 体を治し、そしてまたどこかで、演劇を続けるのだろう。 |
泉 | 私はもう二度と、彼女に会うつもりは、ない。 |
泉 | ……ただ、去り際の彼女の言葉が。 |
先輩 | 「泉ちゃん!」 |
先輩 | 「泉ちゃん、ごめんね……。」 |
先輩 | 「あなたも、きっと……自分の夢を! 自分だけの夢を、見つけてね!」 |
泉 | 「……っ。」 |
泉 | その言葉は。 |
泉 | ずっと、ずっと、この胸を叩き……。 |
泉 | いつまでも私の中に、燃え残り続けている──。 |
泉 | 灰。 |
泉 | 降り積もる、一面の灰。 |
泉 | 先輩と別れ、演劇を辞めた私を待っていたのは、ありきたりでつまらない色あせた現実──などではなく。 |
泉 | 魂の喪失。 |
泉 | 目に映るすべてから、色の消え失せた世界だった。 |
泉 | 頭が痛む。視界が歪む。 |
泉 | なんだ? これは。 |
泉 | 一週間。うまく眠れない。 |
泉 | 一か月。他人の顔の見分けがつかなくなった。 |
泉 | 一年。もう私は、元に戻らないのか? |
泉 | 無窮。果てしなく長い一秒。目に入るすべてが灰に、灰に覆われている。 |
泉 | どうして私は、こんなことに……!? 誰も教えてはくれない。誰も、誰も! |
泉 | 私が失ったのは、夢だけじゃなかったのか!? 誰でもいい! 誰か! |
泉 | どうやら私は、壊れてしまったようだ。 |
ホラーパートここまで。 | |
泉 | とてもひとりでは、耐えられない。 |
泉 | 悪魔が、ささやく。 |
泉 | もしあのまま彼女の手を離さずにいたら。向かう先が地獄だとしても、私の世界はまだ、色づいていたのだろうか。 |
泉 | 最期の瞬間まで、笑っていられたのだろうか。 |
泉 | かけがえのない“今”を、失わずにいられたのだろうか。 |
泉 | そんなはずがないと、どんなに己を戒めようとも。悪魔のささやく夜は、終わらない。 |
泉 | 私は彼女の、先輩の命を救ったつもりだったけれど。その代償はあまりにも大きかった。 |
泉 | 私は……。桂城 泉は夢を失い、ただの灰殻となった。 |
泉 | ……だが。 |
泉 | ある日、学校からの帰り道。灰色だった世界に、再び色が浮かび上がった! |
泉 | それは、公園にいたひとりの少女。先輩かと見間違えた彼女は、しかし実際見ると、似ても似つかない少女だった。 |
泉 | 私は思わず、声をかけていた。 |
泉 | 「……あなたは? ここでなにを?」 |
泉 | そう尋ねる私に、彼女は言った。 |
泉 | 『──夢を叶えたくて』 |
泉 | その瞬間、私の心が震えた! |
泉 | 世界が、色を取り戻してゆく! |
泉 | 反射的に、私は手を差し出していた。 |
泉 | 「良かったら、私が手を貸そうか──。」 |
泉 | 少女と共に歩む道のりは、私の胸を昂らせた。求めていたものが、手に入った。 |
泉 | 私はまた、心を取り戻すことができた。 |
泉 | 新たな命を、彼女がくれた。そう、思ったんだ。 |
泉 | だが……。すぐに、気づかされた。 |
泉 | そんな……どうして……。 |
泉 | …………私は……“そう”なのか……? |
泉 | そういうこと、だったのか……。 |
泉 | 私は、理解したのだ。 |
泉 | 先輩、少女、そして新たな少女、また次の少女。 |
泉 | 夢を叶え、失うたびに、私は何度も突きつけられた。己の、業を。 |
泉 | 私は、誰かと共にいるときだけ、情熱を味わうことができる。自分の中にも炎があると思っていたのは、ただの勘違いで。あれはすべて、誰かが私に注いでくれた熱だったのだ。 |
泉 | 私の第二の人生が、始まった。 |
泉 | ……いや、私は最初から、生者ではなかった。 |
泉 | ずっと、最初からずっと。私は、誰かの生をむさぼり生きることしかできない、亡者だったんだ……。 |
泉 | そして私は。“天才・桂城 泉”と成り果てた。 |
泉 | 誰かの夢を叶えるために、私はなにもかもを捧げた。それはすべて、自分のためだ。他人のためになら天才になれてしまった私は、すべての夢を叶えることができた。 |
泉 | 永遠に夢を見続けることは、許されなかった。 |
泉 | そして、あの日、あの雨の校舎で、私はセラスと出会った。 |
泉 | セラスと出会った頃の私は、亡者としての生き方も上手になっていた。私は自分がどんなに惨めで、つまらない人間なのかをわかっていた。 |
泉 | 他人の夢を叶えることが、今までと同じ繰り返しだとしても。やめることはできない。やめた瞬間に、私は自分が朽ち果てるのをわかっていたから。 |
泉 | まるで永遠の輪廻を味わうように。私は炎に焼かれながら生きるしか、道はなかったのだ。 |
泉 | 悪魔はもはや、私自身だった。 |
泉 | 私は新たなる契約を交わした。セラス 柳田 リリエンフェルトに手を貸し、スクールアイドルとしてラブライブ!を目指し、そして。 |
泉 | そして。 |
泉 | ただ繰り返すばかりだった私の地獄に、光が差した。 |
泉 | 彼女は、私がこれまで救ってきた少女たちとは違った。ただのお姫様であろうとは、しなかった。 |
泉 | セラスは弱く、脆く、幼くて。 |
泉 | そして強く、気高く、眩しかった。 |
泉 | 命の充足が、そこにはあった。 |
泉 | 数多の困難を乗り越え、大勢の助けを借りて夢を叶えたその先に、まだ、セラスの物語は続いていた。光に向かって駆けてゆく彼女は、私の手を強く掴んで、離そうとはしなかった。 |
泉 | 彼女の夢は、欲望は、尽きることがなかった。 |
セラス | 「わたしの夢を叶えるあなたの夢を、叶えてあげる。」 |
セラス | 「ただし。今度はそっちが『お姫様』だから。」 |
泉 | 私がどんなに突き放し、諦めていても。決して挫けず、まっすぐに、希望を失うことはなかった。 |
セラス | 「…………か、必ず! わたしが泉のこと、スクールアイドルにしてみせるから! スクールアイドルのこと、大好きにさせてみせるから! ぜったい! ぜったいに!」 |
セラス | 「覚えておいてよ!」 |
泉 | セラスの目を通して見る世界は、いつでも輝いていた。ともすると、目を覆いたくなるほどに。 |
泉 | どんな炎よりも皓皓と燃え上がる光。 |
泉 | それは灰に満ちていた私の世界を、照らしてみせた。 |
セラス | 「一緒に歌おうよ、泉。わたしの曲で、泉の歌を、一緒に。」 |
セラス | 「“スクールアイドル桂城 泉”を、始めよう。」 |
泉 | 彼女の目に映る私の姿は。 |
泉 | 色づいて見えたんだ。 |